存在の耐えられない軽さ。

教育テレビで、斉藤環が「若年層の無差別殺人」について話をしていた。
多くの加害者が「誰でもよかった」と供述している点に着目し、「実存と匿名」という切り口でこの風潮を解説してみせた。
ざっくり言うと、この「誰でもよかった」という供述は、彼ら自身に向けたものであって、それは「自分が誰でもない」ことの証左であるのだ。だから彼らは「存在しているのに実体のない匿名の何か」になっているという結論である。

80年代の構造主義、いわゆるニューアカの時代もそうだったけど、この辺の人たちはわかったようでわからない物言いをする。
でも、ちょっと気になるからやっかいだなあ。

そう、僕も彼ら加害者の存在の軽さは何なんだろうと常々思っていた。
僕のような愚鈍な人間は、人を殺めるには何らかの動機(わけ)があるものと信じ込んでいる。
憎悪だろうと、怨恨であろうと、物盗だろうと、テロだろうと、動機は動機だ。
彼らの供述にはそれがまったく見えてこない。
人であって人でない、いわゆる人でなし。
彼らは異質の生き物であり、理解できないモンスターなのか。否。

実は「大人(人)になる」がキーワードじゃないかと思っている。
親離れして一人前の大人になるというのは、本人の意思とは関係ない動物としての本能だから、それができないのは明らかな本能の壊れである。
家庭や時代の環境汚染か、つまり事はかなり重大なのだ。

懸案の潮干狩りに行った。千葉の富津海岸まで。
アサリに混じって、ハマグリがいる沖の浅瀬を息子と見つけた。ふたり火の玉になる幸せよ。
帰りの車で眠り込む松屋と息子をバックミラー越しに見て、ささやかな幸福を実感するのだが、それは同時に老いを自然体に受け入れることでもある。
FMから流れる70年代のユーミンもまた良し。
彼方に消えた、「ドント・トラスト・オーヴァー30」。
俺はとっくに40を超えてる。

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