でもなあ、存在は耐えられない軽さなのかなあ。

鯉のぼりを片付けて、連休は無事に終わる。
息子の自転車の補助輪をいきなり外したら、5分も経たぬうちに「こんなの無理だよ」と泣いた。

言いっぱなしでそのままになっていたので、前回の続きを。
「若者の無差別殺人」のわけ。
というのも斉藤氏が先ほどの毎日新聞に同様のテーマで、もう少しわかりやすく解説していたから、さらに考え込んでしまったのだ。

彼は「実存」を切り口にそれを考える。
つまり「実存=自分は何者なのか。自分は何のために存在しているのか」という難題に、若者たちは向き合えなくなったと指摘するのだ(実はこんな問いに答えはないのだが)。
この問いを最初に意識するモヤモヤの時期を、人は青春という。
だから例えば学生運動も、若者が蜂起した革命運動などではなくて、「実存」に向き合う若年たちの健全なモヤモヤ解消だという捉え方を彼はする。
たぶんそれは正しい。

終戦後(今70、80歳代)は「愚連隊」「全学連」、その後に「全共闘」(今60代)、続いて「校内暴力」「暴走族」(今40、50代)、「チーマー」「ガングロ」(今20、30代)と続くのだが、見てのとおりその反抗の社会性も行動力も世代を下るごとにスケールダウンしていくのがわかるだろう。

そして街にモヤモヤの若者は消え、時を合わせるように「引きこもり」「摂食障害」「リストカット」といった内向型のヒステリーが目立つようになった。
徹底的に逃げをうったり、食欲という形で身体が意思に異議申し立てしたり、自身が確かに存在する事を痛みで確認したりしても事態はいっこうに変わらず、そのいらだちがふらっと外に向かう。
もちろん自分はリスクを負わない形で。
例えばそれが理由のない「無差別殺人」。

宮城県の奥座敷、鳴子温泉で友人の涼音堂の星くんが主催するフェスがある。
5月16日から18日まで(www.ryoondo-tea.jp)。
「ミュージック・フェス風、温泉チルアウト・パーティ」ということで、我々も微力ながら協力してます。

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comments(2)

村上(2008/5/16):

日本の文化って、特に音楽業界とかもう20年前で止まっているんですか?

微光(2008/5/16):

補助輪と同時に、ペダルも一緒に取ってしまって、まずは蹴り乗りの練習から始めると、バランス感覚が意外に早く身に付いて、いいですよ。

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