遠くなった大衆歌

「泣く」の続きで今回も書きたい。

泣ける小説1位がとりあえず内田百閒の『ノラや』だとすれば、じゃあ、泣ける歌、第1位は?と自問したところ、真っ先に浮かんだのがディック・ミネの「人生の並木路」だった。9歳か10歳の頃に、ふっと口をついたついでに歌ってみたら泣けて泣けて、下を向いてぼろぼろ泣いた記憶がある。

歌番組で聴いたその歌詞と、片耳をたまにハンカチで押さえて歌うディックじいさんの容姿(&奇異な名前)が、幼少の自分をかなり揺さぶったんだと思う。「長崎の鐘」や「青い山脈」もそうだが、昭和初期の流行歌は前向きなのに哀しく、例えば山田洋次の映画に共通するある種の哀しさも、この流れにあるのではないかと思っている(橋本治がこのへんのことをがっつり書いてた)。

「人生の並木路」の歌詞はこう。「泣くな妹よ、妹よ泣くな、泣けば幼いふたりして、故郷を捨てたかいがない」と兄が妹を戒め、エンディングで「このじ〜ん〜せ〜いのぉ、なみき〜み〜ちぃ」と決意を高らかに歌い上げる。ざっくり言えば、孤児になった兄妹が上野のガード下、「蛍の墓」を連想させる風景の中にぽつねんといて、歯を食いしばって生きることを誓うという、高度経済成長時代の心象歌とも言える内容。上ずってかすれがちな昭和歌謡歌手の声、どこかクラシカルな古くさい発声法がエフェクターになって、歌は静かなヴァイヴで成長期の日本人を高揚させた。

ディック・ミネだけじゃない、東海林太郎、藤山一郎、淡谷のり子、田端義夫、美空ひばり......スタイルやバックボーンの違うこれらの昭和歌謡歌手の強烈な個性、そして時代の要請を思うと、すでになくなった大衆歌謡というものがどうにもこうにも魅力的に思えてならない。

時間は流れ、国民皆労働者で幸せをキャッチアップした時代は慌ただしく過ぎてゆき、坂の上のバブルを経て、現在は大衆という言葉も死後になった。AKBを引き合いに出すほど野暮ではないが、大衆歌を失って久しいこの国は、明らかに折り返しを過ぎて初老期を迎えたのである。

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