ジョー・ラリーが帰国して1か月が経とうとしている。10月の頭から南米、11月には北米へとワールド・ツアーはまったり続く。それにしても、そばにいて気持ちのいい人だった。それが今でも強く印象に残っている。昔はああいう清潔感のある人がひとりやふたり身近にいたものだが、最近はとんとご無沙汰だった。その清潔感って何ぞと言われても困るが、強いて言えば"諦観"かもしれない。
そんなことをぶつぶつ考えながらベイスターズのチーム・データを息子とチェックしてると、あまりの盗塁の少なさに2世代で憤怒する。これは由々しきことじゃないのか。だから最初からショート石川をレギュラーから外して1番に荒波を入れ、センターに。2番にショートで渡辺。このふたりをどんどん走らせnightいけん。セカンドは藤田で打順は6番。キャッチャーは黒羽根で決まり。このキャッチャーは線が細いので、監督命令で中日の森野あたりが打席に入ったら「お前、最近デブになったな」とぜひ言わせたい。
そうそう、一部で話題の本、佐藤泰志の『海炭市叙景』がなかなか味わい深かった。あの時代の懐かしい空気が、読み進めて数行で鮮やかによみがえる。それは俺が20歳前後の80年代の半ば。中上健次がバリバリで、ダブル村上(ダブル浅野みたいで恥ずかしいやん)が華々しく、高橋源一郎に島田雅彦もぴかぴかしてたあの時代。ニューアカの先生たちが重宝され、『宝島』もゼルダも新宿ロフトも糸井重里もめっぽう面白かったし、メインもサブもとにかくカルチャー全盛のワーワーした時代だった。
彼はそんな時代にひっそりデビューし、本作も連載途中、未完のまま若くしてひっそりと自死した。当時の文芸誌では批評家に村上春樹と比較されるほど高く評価された才能だったらしいが、残念ながらリアルタイムでは知らない。切ないが、先ほどの"諦観"にも通じる良い作品だった。
手入れ中に大事な竿を折って泣きそうになってる場合じゃないぞ、と思った時事がひとつある。「民法上では損害賠償請求の権利より、担保権の方が優先されるというのが民法の基本です」という枝野経産大臣の発言だ。原発地震後、すぐに銀行団は数兆の金を東電に貸し込んでいるが、彼の言わんとしていることは今東電を潰して精算した場合、法律上、金融機関の担保付き融資の方が、被災者の損害賠償より優先するから(つまり賠償はかなり限定的になるので)、あの会社は潰せないんですと言っているわけですな。
何か臭う。
法に詳しい実力者が民主党にふたりいる。政権の中枢にいる枝野と仙石だが、この弁護士出身のふたりの権力者はその民法の基本を知っていて、事故後の銀行団の融資をなぜ見過ごしたのかという素朴な疑問がまずひとつ。金融機関と東電は東電株や社債だけとっても一蓮托生の間柄なのは明らかであり、その民法の基本を銀行も東電も知っていて、あえて担保を取って貸し付けたのではないかと勘ぐりたくなる。これがふたつ目。つまり東電を潰せなくするためにあえて貸し込んだと。じゃあ、それを見過ごしたのは政府の単純なミスなのか、怪しいなぁー、という話だな。
「生かさず殺さず粛々と賠償させる」というのも詭弁で、それは原子力発電を続けること、発電/送電の分離もしないことが前提になってる。いやいや、こりゃはなっから仕込まれた三文芝居だな。経産省、財務省を中心にした政官業のトライアングルが暗闇でチーンって鳴ってる気がする。
お口直しは間もなくリリースしますケヴ・ホッパーさんが在籍した80年代はUKのアートロック・バンド、STUMPの懐かしPV。カッコええ。